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東京高等裁判所 昭和33年(行ナ)30号 判決 1966年12月13日

原告 奥村文治

被告 株式会社本郷研究所 外七名

主文

特許庁が昭和三十二年抗告審判第一、二二九号事件について、昭和三十三年七月二十二日にした審決を取り消す。

訴訟費用は、被告らの負担とする。

事実

第一請求の趣旨

原告は、主文同旨の判決を求めると申し立てた。

第二請求の原因

原告は、請求の原因として、次のように述べた。

一、原告は昭和二十五年六月十五日出願、昭和二十九年七月二十八日出願公告、同年十一月八日登録にかかる特許第二〇九、一一七号「メリヤス編機」(以下本件特許権という。)の特許権者であるが、昭和二十九年十二月七日被告株式会社本郷研究所、被告萩原編物機株式会社、被告ロビン編機工業株式会社、被告スピード手編工業株式会社は、訴外日本手編工業株式会社、同東京手工芸編物機株式会社、同エム式機械製造株式会社とともに、原告を被請求人として本件特許権について特許無効審判を請求し(昭和二十九年審判第五〇七号事件)、被告日本ミシン製造株式会社、被告シルバー編機製造株式会社、被告大東精機工業所(当時の商号、株式会社山王編機研究所)、被告萩原機械工業株式会社及び訴外東洋編機工業株式会社は、右審判に参加した。特許庁は、昭和三十二年五月二十九日「請求人日本手編工業株式会社及び東京手工芸編物株式会社の審判請求を却下する。特許第二〇九、一一七号の特許を無効とする」との審決をしたので、原告はこれを不服として同年六月十四日これに対して抗告審判を請求したが(昭和三十二年抗告審判第一、二二九号事件)、特許庁は昭和三十三年七月二十二日原告の抗告審判の請求は成り立たない旨の審決をなし、その謄本は同年八月三日原告に送達された。

二、右抗告審判の審決の理由の要旨(本訴に関係する部分のみ)とするところは、次のとおりである。

(一)  審決はまず、本件訴訟における被告らである抗告審判被請求人らが、本件特許権の無効審判を請求するについて利害関係を有しないとの原告の主張を排して、右抗告審判被請求人らがその利害関係を有することを肯認した後、

(二)  本件特許発明の要旨を、「ラツチニードルを進退せしめて編成を行うキヤリツジに、糸の取替えを自由にするため支持杆を一とするプレツサーを取付け、キヤリツジの摺動に従い、ラツチニードルによつて作られたループが、ラツチを越して摺動するようにしたメリヤス編機」にありと認定する一方、審判請求人である被告らが、同事件において、原告の本件特許出願前公知公用のものであると主張して提出したメリヤス編機(本件における検乙第一号、以下引用機という。)の写真及び実物と本件特許発明の要旨とを比較して、両者は後者におけるプレツサーの支持杆が一本であるのに対し、前者ではこれを二本としている点において相違するだけで、他に相違するところがない。しかるに審判における証人宮下満吉、横山よね、林綾子の各証言と引用機における支持杆、プレツサーの取付手段が切欠孔とボルトとによつていることとを総合して、本件特許出願前である昭和二十五年初期において引用機と同様な編機が公然製造販売使用され、かつこれによつて縞物などを編む際、糸の取替えを自由にするため、支持杆の一方を取外し、割糸口を使用した事実を認めることができるとし、この事実を前提として、本件特許発明は旧特許法(大正十年法律第九十六号)第四条第一号の規定に該当し、その特許は同法第一条の規定に違反して与えられたものであるから無効とすべきものとしている。

三、しかしながら審決は次の理由によつて違法で取り消されるべきものである。

(一)  審決は当事者能力のないものを当事者とし、かつ僣称代理人の違法行為を看過し、誤つた当事者の表示のままでなされた点において違法である。

(二)  審決は、被請求人らが指定期間内に答弁書を提出せず、適法な応訴行為に出でなかつたことを看過してなされた違法の審決である。

(三)  審決は一事不再理の原則に違反してなされた違法の審決である。

(以上(一)、(二)、(三)の事実の詳細は、当裁判所が昭和三十五年十月四日に言い渡した中間判決における事実第一「請求の趣旨及び原因」の項の二の(一)、(二)、(三)の記載参照)

(四)  被告らは本件特許の無効審判を請求し、又は右審判に参加するについての利害関係がないものであるのに、審決はこれを看過した違法がある。

(1) 当初本件特許の無効審判を請求した七名のうち引用機の製造者である訴外日本手編工業株式会社のみが、真に利害関係人であるのに、同訴外会社は、初審審決において利害関係の証明なしとして審判請求を却下された。

また訴外エム式機械製造株式会社は、原告の発明を最先に模倣した重大利害関係人であるが、同訴外会社も当裁判所において、原審審決当時何らの営業行為をもしていなかつたという理由により、昭和三十五年十月四日付判決をもつて利害関係なしとされている。その余の被告らに至つては、後に述べるように、何等本件特許の無効審判を請求するについて利害関係を有しないものである。

(2) 審決は被告らが手編機の製造業者であるから利害関係があるとしているが、手編機といつても各種各様で、当時登録になつたものだけでも数百件を超えるものであるから、単に手編機の製造業者というだけで利害関係人とはいえない。

(3) 本件被告らのうち株式会社本郷研究所、萩原編物機株式会社、スピード手編工業株式会社、日本ミシン製造株式会社、シルバー編機製造株式会社、株式会社大東精機工業所は、原告を相手方として岡山地方裁判所に権利範囲確認等請求事件を提起しているが(同庁昭和三〇年(ワ)第三四六号事件)、該訴訟において請求の原因として、「原告ら(本件被告ら)のうち株式会社本郷研究所及びスピード手編工業株式会社の製作販売する手編機械は、使用上の不便を忍んで被告(本件原告)の特許に牴触しないよう特に構成されたものであり、その余の原告らは、訴外山田努の権利に属する登録第四一六、二九九号実用新案権の全範囲にわたり使用を許諾され適法にこれを実施しているものであるから、いずれも被告の特許権を侵害しているものでない。」と主張している。してみれば何ら特許権の侵害をしていない者が、該特許権の特許無効審判を請求する利益がないことは明らかである。

しかも右実用新案第四一六、二九九号については、その後該権利を承継した訴外山田亀吉が、原告の主張に対抗し得ず、原告との間に和解が成立しているものであるから、被告らが利害関係を主張し得る理由はない。

(4) 被告萩原編物機株式会社は既に数回となく破産し、その分身である萩原機械工業株式会社とともに、その代表者は行方不明である。被告株式会社本郷研究所は事実上破産し、現在手編機の製造を中止し、被告株式会社大東精機工業所も事業の実体は存在しない。結局被告日本ミシン製造株式会社、スピード手編工業株式会社及びシルバー編機製造株式会社以外はその営業を廃止し、その実体は存在しないものであるから、前記訴外エム式機械製造株式会社同様利害関係のないことは明らかである。

(5) もつとも前記(3)の訴訟において、原告が被告ら主張のような反訴を提起し、該訴訟が現に岡山地方裁判所に係属していること及び原告が東京、大阪、岡山、広島における二十七の有名百貨店に対し、原告の本件特許の実施権者以外の特許権侵害手編機の販売拡布行為をしないように求めたところ、内二十二店が原告の要請に応じその販売拡布行為を停止したことはこれを認める。

(五)  審決は本件特許発明の要旨の認定を誤つた違法がある。

本件発明は、一般素人用又は家庭工業用として従来の各種家庭用編物機械と工業用諸機械の長短を考慮し、取扱の容易なこと、能率の大なること、堅牢なこと、価格の低廉なこと、編物用として利用範囲広く各種の組織が編めると共に、糸の切継ぎ又は複雑なる工程及び機構、道具を用うることなく、ジヤカード機を用いた場合と同様の色模様及び縞物を簡単に編み出し得るよう独特の考案をなすとともに、レース編ゴム直し、柄出しに便なると同時に座つたままにても操作ができるように他機械にその例を見ない編地を前面に編み下すようにし、又運転中編目が全部見られるようにしたもので、原告が当初特許願(原出願)に添付した明細書には、その「特許請求の範囲」に「木製フレームに蝶番を付して簡単に目的の場所に取付けられると同時に、機械を水平にせるも自由にその角度を調整し得べき点、把手を直接カムボツクスに連結し、前面より操作し得るようにせる点、プレツサーの構想とその運動性を持たしめたる点、カムの構成は運動性を持つ上げ山二個固定せる下げ山を唯一個とせる点、そのカムの取付法と編目調整法、糸供給装置すなわちフヰーダーの一部に切目を作り支点を設けてその外れを防ぐ点、以上の構想に依つて操作される構造一切を含む機構全体の型式」と記載されている(甲第十二号証の一参照)。従つて本件特許発明の要旨は、右当初に提出した明細書及び図面に従つて解釈すべきであるのに、審決は原告が右原出願について昭和二十八年十二月五日に分割出願した特許願について提出した補正訂正書(甲第十二号証の八)における「特許請求の範囲」の記載をそのままに要旨を認定したものである。すなわちすでに大審院判例にもあるように、発明の要旨の認定には、補正訂正された明細書を審理の対象とすることはできないのに、審決は、これに違背し前述のように不可分的に記載された当初の明細書の記載の一部のみをとつて発明の要旨を認定した違法がある。

(六)  本件審決は本件特許発明の新規性について判断を誤つている違法がある。

(1) 審決が引用機(特許第一七七、一〇五号の実施機と称するもの)の写真及び実物と証人宮下満吉、横山よね、林綾子の証言を総合して、本件発明が原告の本件特許出願(昭和二十五年六月十五日)前国内において公に知られていたものと認めたことは前述のとおりであるが、引用機は本件特許発明と相違するものであるばかりでなく、右各証言はいずれも為めにせんとする虚偽の証言であつて採用すべからざるものである。

(2) 引用機に取付けられた鉄板はプレツサーではなく技術上の観点からは「かぶり止め」と称すべきものである。引用機は工業用機のように四十五度前後傾斜しているのでプレツサーはその必要性がないものである。ただ機械の設計技術が未熟で編成地がかぶるのでこれを止めるため取り付けられたもので、本件特許発明の作用効果である編込模様、引返し編は絶対不可能のものである。

(3) 仮りに引用機について審決が認定するようにプレツサーの片足を取り外し割糸口を取り付け、縞物などが編成できるような使用がされていたとしても、それは一般に公開されない個人的の行為であつて、これをもつて公知公用とすることはできない。

(4) そればかりでなく本件特許発明は前述のように多数の新規発明を包含しているものであるから、その一部が公知であるからといつて、これを無効とすることはできない。

第三被告の答弁

被告代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、原告主張の請求原因に対し、次のように述べた。

一、原告主張の請求原因一及び二の事実はこれを認める。

二、同三の主張はこれを否認する。

被告らはいずれも手編機の製造販売を目的とする会社であり、現にメリヤス編成用手編機を製作又は販売している者であるから、本件特許の無効審判を請求する利害関係を有する。

ことに原告は昭和三十年春頃から昭和三十一年終頃までの間に被告全員に対し、被告らが製作、販売する手編機が、原告の有する本件特許権を侵害するものであることを通知するとともに、被告ら及びその取引先である百貨店に対し、被告らの手編機の製作販売を中止するよう書面をもつて申し入れたので、被告ら(ただし被告ロビン編機工業株式会社及び萩原機械工業株式会社を除く)は、原告を相手方として、岡山地方裁判所において、原告は右被告らが前記手編機を製作、作用又は拡布することを実力をもつて妨害してはならない旨の仮処分命令を得、右仮処分事件についての本案訴訟及びこれに対し原告が右被告らに対して提起した本件特許権侵害による損害賠償等請求の反訴が現に同地方裁判所に係属中であるから、被告らが本件特許の無効審判請求をするについて利害関係を有することは明らかである。

三、被告らは、本件特許無効審判請求事件において、本件特許の無効の理由として、

(一)  本件特許発明はその出願前国内において公知公用のものであること(審決が肯認した事実のほか、訴外尾崎通泰は昭和二十四年頃本件特許発明と同一構造のメリヤス編機を原告をして製作せしめ、当時尾崎が経営していたフタワ編物研究所に備え付け、受講者等に公然使用させ、宣伝していたこと。昭和初期において大阪市在住のメリヤス編立業者は大横メリヤス編機を改装使用したが、その構造、作用及び効果は本件特許発明の要旨と完全に一致するものであること。原告自身その出願前本件特許発明の手編機を公然実施していた事実を併せ主張した。)。

(二)  仮りに右の主張が認められないとしても、本件特許発明は尾崎通泰の発明にかかるものを、原告において冒認して出願したものであることを主張した。

被告らは本訴においても右の各主張を維持するとともに、更に次の事実を追加主張する。

(三)  本件特許の出願前において宮下太郎の製作にかかる特殊高速度メリヤス編機が公知公用であつた以上、糸の取替を自由ならしめるためプレツサーの取付方法としてその支持杆を一本とすることは、当業者の容易に推考し得るところであつて、この点において何等発明力を要しないものであるから、本件発明は旧特許法第四条の新規性を欠くもので無効とせられるべきものである。

(四)  本件特許出願前である昭和二十四年秋頃、訴外池内元は京都府船井郡八木町において、中央に一ケの上げカムと糸導口を取り付けた上げカム体を有し、これとは別個に、右上げカム体の左右に各々一ケの下げカムとプレツサーを付した下げカム体を取り付けた手編機を、ダイヤモンド編機と名付けて公然販売した事実がある。これと本件特許発明の構造とを比較すれば、本件発明は、右公知の手編機から当業者が容易に推考し得る程度のものに過ぎない。

第四証拠<省略>

理由

一、原告主張の請求原因一及び二の各事実は当事者間に争いがない。

二、進んで原告が審決が違法であると主張する同三の各事項に付いて判断するに、その(一)、(二)、(三)については、当裁判所は昭和三十五年十月四日に言い渡した中間判決において、原告の主張するこれら取消原因は存しないことを判決しているものであつて、これ以外の判断は存在しない。

三、被告らは本件特許の無効審判を請求し、またはこれに参加するについての利害関係を有しないとの(四)の主張についてみるに、被告らのうちロビン編機工業株式会社及び萩原機械工業株式会社を除く各被告らが、同被告らの製作販売する手編機は原告の本件特許権を侵害するものでないことを理由として、「原告は同被告らが該手編機を製作、使用、拡布することを実力をもつて妨害してはならない」との仮処分命令の申請及びこれに対応する本案訴訟を提起したところ、原告は同被告らの該手編機の製造販売は、原告の本件特許権を侵害するものであるとして、同被告らに対し損害賠償等を請求する反訴を提起し、同訴が現に岡山地方裁判所に係属中であることは、原告の認めるところである。してみれば同被告らは、原告のその余の主張について判断をするまでもなく、そのことだけで、本件特許の無効審判を請求し、また同審判に参加する利害関係があるものといわなければならない。

被告ロビン編機工業株式会社及び萩原機械工業株式会社については、これら被告会社が手編機の製造を営んでいたものであることは、弁論の全趣旨に徴し明白なところ、原告が昭和三十年頃から三十三年頃までの間に、多数の有力百貨店に対し、原告の本件特許実施権者以外の特許権侵害手編機の販売をしないように求めたことは、原告の認めるところであり、しかもこれら被告二社が原告から本件特許発明の実施許諾を受けたものでないことは、これまた弁論の全趣旨から明らかであるから、これら被告二社も、本件特許権の存在により、その製造する手編機の販売を妨げられるものというべく、その無効審判を請求し、またはその審判に参加する利害関係を有したものである。原告はこれら被告らはその後手編機の製造を中止し、萩原機械工業株式会社はその代表者も行方不明であると主張するが、甲第四十号証の三及び五(いずれも興信所の調査報告書)を外にしては、これを認めるに足りる証拠がなく、しかもこれら文書はその成立について争いがあるばかりでなく、その記載内容もただちにこれを採つて原告の主張事実を認定するに躊躇するものである。

すなわち(四)の主張は、いずれもこれを採用することができない。

四、原告は、その主張(五)において審決が本件特許発明の要旨を誤つたと非難する。

しかしながら各その成立に争いのない甲第十五号証(甲第三十号証に同じ、本件特許公報)及び甲第十二号証の一ないし十二と、本件弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

原告は昭和二十五年六月十五日「高速度編物機械」について特許を出願したが、(昭和二十五年特許願第七八四三号)その発明は、原告が本訴請求原因三の(五)において主張するような多くの目的を一挙に実現するための多数の構想を含み、原告はこれに応ずる構造の全般について一つの特許権を得ようとしたもので、その明細書における「特許請求の範囲」の項には、原告が主張するような詳細な記載がなされていた。しかしながら、右出願については拒絶査定がなされたので、原告はこれを不服として抗告審判を請求した(昭和二十六年抗告審判第五六三号)。該事件において原告と抗告審判官との間に訂正通知を含む数次の文書が往復された後、抗告審判官は昭和二十八年六月一日「本願は一件記録に徴し互に関連のない多数の発明について特許を請求しているが、これは旧特許法第七条の規定に違反するから特許すべきものでないと認める。ただし明細書(特に特許請求の範囲)を訂正するときはこの限りでない。(もし訂正するならば先の訂正通知書の要領を参酌されたい。)」との拒絶理由を通知した。原告はこれに応じ同年十二月五日旧特許法第九条第一項の規定により原特許出願を「編物機におけるカム構造、」「編物機におけるレール装着法」等六件に分割して特許出願をしたが、本件特許も右分割出願にかかるものであつて、原告は右分割出願について昭和二十九年一月二十二日発明の名称を「メリヤス機械(編物機械)」とし、訂正明細書(甲第十二号証の八)を提出した。抗告審判官は同年二月十七日右訂正明細書に基き出願公告決定をなし、同年七月二十八日公告がなされた(昭和二十九年特許出願公告第四六七七号)。次いで同年十月十三日「原査定はこれを破毀する。本願の発明は、これを特許すべきものとする。」との審決があり、同年十一月八日特許第二〇九、一一七号として登録がなされたものである。そして右訂正明細書の「特許請求の範囲」には、「ラツチニードルを進退せしめて編成を行うキヤリツジに糸の取替えを自由ならしむるため支持杆を一とするプレツサーを取り付け、キヤリツジの摺動に従いラツチニードルによつて作られたループが、ラツチを越して摺動するようにしたことを特徴とするメリヤス機械」と記載されており、特許公報(甲第十五号証)に記載された出願公告にも同様に記載されている。かかる経緯のもとにおいて特許発明の要旨の認定は、分割出願について提出された明細書の記載によるべきは当然であつて、審決がこれに基いて本件特許発明の要旨を原告主張二の(二)記載のように認定したのに何の違法もない。

五、進んで本件特許発明の新規性を否定した審決の理由について判断する。

審決が、引用機の構造と審判における証人宮下満吉、横山よね、林綾子の各証言とを総合して、本件特許出願前引用機が公然製造販売使用され、かつこれによつて縞物などを編む際、糸の取替えを自由とするため、支持杆の一方を取り外し、割糸口を使用した事実(以下「公知事実」という。)を認定し、これを前提として本件特許発明は、その出願前国内において公知公用のもので、旧特許法第四条第一号の規定に該当するものであるとしたことは、さきに認定したところである。

そこで検乙第一号と弁論の全趣旨を総合すれば、引用機は「ラツチニードルを進退させて編成を行うキヤリツジに、糸口の両側に位置する二本の支持杆を、切欠孔とボルトとによつてねじ止めにし、該支持杆の先端に、一枚のプレツサー様の鉄板を同じく切欠孔とボルトとによつてねじ止めにし、キヤリツジの摺動に従いラツチニードルによつて作られたループが、ラツチを越して摺動するようにしたメリヤス編機」であることが認められる。

そしてその成立に争いのない乙第十三ないし十五号証の各一、二と弁論の全趣旨とによれば、審決が前記「公知事実」認定の資料とした特許庁における証人宮下満吉、横山よね、林綾子の各証言調書中には、引用機の使用について、「これは特殊柄編機として売出したときの製品です。本格的に売出したのは昭和二十四年の秋頃からでそれ以前にもぼつぼつ出ていました。輸出の手袋をやつていた頃に糸を変えた編み方もあつたように記憶します。割糸口は昭和二十三年時分には使つていたように記憶しています。」「初め機械の工合はよくありませんでした。使用する際ハンドルよりプレツサーに力を入れて操作つたので危なく不安定なものでしたので平編みの時は足を二本使つていました。片方の足をのばして使うと足が廻つたりするので足を止めるのに、もう一本のビスを立てて動かないようにした記憶がありますが、一般的にはやらなかつたと思います。」「昭和二十四年頃から講習を始めました。生徒はせいぜい入つて二十人位であつたと思いますが、入り変り立ち変り入つていました。」(以上宮下満吉)、「最初はこれでメリヤスだけしか出来ないと教えられましたが、後に割り糸口を使用することを教えられました。縞編みの時は足の所のネヂを取つて毛糸を入れかえます。」「割り糸口を使うためには、そうしなくては使えないと言われ、ネヂをはずして足を取つたり、足をプレツサーからはずし、横の方に廻して隙間を作つたままにしたりして使いました。」「田舎ではこういう機械は珍らしく、音を聞いても変つているので、近所の人は見に来ていました。」「配色を編む時は片方の足をのばし放して編みます。」(以上横山よね)、「特殊柄編機の操作方法は宮下太郎方で教えて貰いました。」「初めは柄編み、縞編みはこの機械では、編めないのだと聞きました。最初の先生は右手にハンドルを持ち、左手で補助板をもつてやるように教わりました。その後腕をはずして縞編み等をしたことがあります。」「当時高級品を能率的にやれる程度は縞編みが最高の技術でした。」(以上林綾子)との記載があることが認められ、また当裁判所における証人宮下太郎は、引用機について、これは昭和二十三年十二月に同人の工場において作つた特殊柄編物機で、二本の腕で支持しているプレツサーの支持杆の片方だけを外して色変り柄編などを編み、同機購入者等に対して実地に手を取つて教えた旨を供述している。

しかしながら右証人宮下太郎の証言によれば、引用機は、同人の発明考案にかかる特許第一七七、一〇五号発明及び登録第三六四、四五〇号実用新案を実施したもので、多少部分的な差異はあるかも知れないが、原理はこれら特許発明及び登録実用新案と同じものであることが認められるところ、その成立に争いのない甲第十六号証の一(特許一七七、一〇五号明細書)、甲第十六号証の三(登録第三六四、四五〇号説明書)と検甲第一号証によれば、右宮下太郎の特許発明にかかる前記編機は、「編針を配列せる台板上の軌条を滑走するカム支持板の裏面に中央定置カム及びこれと相対する一対の可動カムを設け、該可動カムを支持板の導孔を通じて前後に摺動自在なる如く設けたる案内片に夫々支持せしむると共に、これら案内片を支持板上において左右に摺動自在に設置した把手の脚端部に係接することにより、把手の摺動に伴い、その前後位置の切換えを行い得べく構成し、この把手の足部を誘導する各承金をして前後位置を調節し得る如く螺子を以て支持板に緊締したことを特徴とするメリヤス編成機」であつて、「極めて簡易な装置と操作により編目の大小を変更し、かつ目の大小の寸度を任意に調整することを目的とする。」ものである。これに対し先に認定した構成による本件特許発明のものは、「糸を切継ぐことなく取替自由となし二色以上の糸を自由自在に取替えて模様編、縞物等を編成し得られるようにしたことを特徴とする」ものであることは、その成立に争いのない甲第十五号証(本件特許明細書)の記載するところであり、両者は、すでに本件発明特許出願拒絶査定に対する抗告審判審決(その成立に争いのない甲第十二号証の十)のいうように、「その目的及び作用効果において全く相違しているもの」である。(宮下太郎の前記登録実用新案は同人の前記特許発明を実施したメリヤス編成機の構造にかかるものであるから、全く同一のことがいわれる。)

してみればたとい多少部分的な差異はあつたとしても、原理的には、これら宮下太郎のメリヤス編成機に関する発明、考案を実施した引用機について、単にプレツサー様の鉄板の支持杆の一方を取り外し、割糸口を使用するだけの変更によつて、直ちに従来は不可能であつた縞物、柄物の編成が可能となり、本件発明のものと同一の作用効果を生ぜしめるものとは、たやすく信じ難いばかりでなく、仮りにその変更によつてそのような格段の効果が生じたとしたならば、その成立に争いのない甲第十六号証の一ないし七及び証人宮下太郎の証言によつても認められるように、昭和二十一年から昭和三十年にわたり編機について数十件の特許権、実用新案権を有する宮下太郎が、その新知見について(前記宮下満吉、横山よね、林綾子がなしたとする「公知事実」は、いずれも宮下太郎関与のもとになされたものであることは、同人等の証人訊問調書の記載から明らかである。)特許ないしは実用新案登録の出願をなすことなくこれを放置し、または広くこれを世人に公開することは、当裁判所の到底考えられないところである。

以上の理由により、引用機の構造は別として、審決が公知事実認定の資料とした証拠の内容及び本訴において被告が提出した同様の趣旨を記載した報告書(乙第四、五、六号証)の記載は、当裁判所の措信し得ないところであつて、他に本件においては、本件特許出願前国内に「公知事実」が存したことを当裁判所に適確に認めしめるに足りる証拠は何もない。

してみれば、「公知事実」の存在を前提として、本件特許が旧特許法第四条第一号に該当するものとし、本件特許を無効とすべきものとした審決は、この点において違法のものといわなければならない。

六、被告は本件特許を無効とすべき理由として、右五において判断したものの外、被告主張三の(一)(ただし審決肯認の事実を除く)及び(二)の事由を特許庁において主張し、更に本訴において同(三)、(四)の事由を追加主張し、仮りに右五の事由に関する審決が誤まつていたとしても、本件特許はこれらの事由により無効とせられるべきものであると主張するが、これらの事実は、いずれもいまだ特許庁における審理を経ず、この点に関する何等の判断も示されていないものであるから、当裁判所がこれらの事実によつて直ちに審決の適否を判断するに由ないものといわなければならない。

七、当裁判所は原告の本訴請求はその理由があるものとしてこれを認容し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八十九条を適用して主文のように判決した。

(裁判官 原増司 福島逸雄 荒木秀一)

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